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羽田空港 その3 [羽田空港 ]

職場が羽田空港でしたので、

羽田空港に近い場所に住んでいました。

大森に住んでいましたので

昼間の1時から夜の10時まで働いた後

空港で食事をして、お風呂を浴び

空港からバスでJR(当時は国鉄です)の蒲田までいき

次の大森まで帰っていました。

電車代も最低区間は50円だったと思います。

100円以内は券売機もピンクとか緑に色分けされ

60円や70円専用の券売機がありましたね。

改札は真ん中に

駅員やアルバイトの学生が

はさみで次から次に切符を切っていましたね。

改札から出る行ときは、

切符を放り投げて改札を通過していましたね。

今は自動改札が当たり前ですけど、

考えてみると、すごいですね。

あれだけの人の量をさばいていたわけだから。

しかも、切符の料金が足りないことも

チェックしていたわけだから。

東京駅や新宿駅の人の数を考えたら

本当にすごいと思います。

当時は、それが当たりまえでしたからね。

仕事が終わって

早くて夜の11時半、遅くても最終電車に乗って

帰る事ができました。

食事やお風呂は空港内で済ましているので、

後は、帰って寝るだけです。

次の日の仕事は昼間の1時からなので

ゆっくりとできました。

仕事が終わって帰ってからのたのしみは、

テレビを見ることくらいです。

今みたいに、

スマホや携帯、パソコンやゲーム機、

テレビゲーム、DVDなどはありません。

部屋の中でできるたのしみはテレビをみるか

ラジオを聴くか本や雑誌や漫画を読むことくらいです。







羽田空港その2 [羽田空港 ]

羽田空港では

正月休みや盆休みも返上して働いていました。

家庭を持っている人達は、

さすがにそこまではやりませんけど

独身の人達は空港に寝泊まりしながら

働いている人もいました。

私も若かったので、

よく空港に寝泊まりしながら働いていました。


寝泊まりできる大きな部屋があって

ベットとか毛布や布団も

ありましたので、ちゃんと仮眠ができます。


又、社内食堂があり、

会社から食券がもらえましたので、

朝、昼、晩と3食事は無料でした。

お風呂もありましたので、

空港内で全てまかなうことができました。


食事はタダ、お風呂もタダ、

寝るところもタダでしたので

出ていくお金といえば、休憩時間の時に

自動販売機で買う飲み物くらいでしたね。


食べ物でいえば、

機内食は足りないと困るので

乗客より常に多めに用意します

ですから必ず余るようになっています。


全く手を付けない状態で、

パン、お菓子、バター、マーガリン、

などが運ばれてきます。

又、アルミにきれいに包まれた状態で

ステーキ、ハンバーグなどなどが

手をつけない状態で運ばれてくるので、

家に持って帰る人もいました。


休憩の時には、ビニールで梱包されたパンなどは

みんな食べていましたね。



最初の頃は、よく食べたり、持って帰っていましたが、



そのうちあきてきて

持ってかえらなくなりましたね。


みんな捨てていました。他の人達もそうです。

大量の食器や食べ物が次から次にやってくるので、

どんどん捨てていかないとさばききれないです。

もうきりがないくらいでしたね。


生活はとても楽でしたね。



働いているときは、食事は3食タダ、

お風呂もタダ、寝るところもタダ

交通費は当然出してくれるし、

ほとんどお金は使わなかったですね。


正月休みや盆休みに仕事をすると、

特別手当も出ましたのでやりがいがありました。


正月は休まずに仕事をしていましたので、

1月15日の自分の成人式はでませんでした。

成人式の日は羽田空港で仕事をしていました。


年末から、ずーと羽田空港で寝泊まりして

仕事をしていました。



仕事は3交代制で、

午前8時から夕方5時まで、

昼1時から夜10時まで

夜10時から翌朝8時までの3シフトがありました。


最初の頃は、朝が弱いので、

昼1時から夜10時までのシフトで働いていました。


朝が弱いので、

昼間の1時からというのは非常に助かりました。

私は学生の頃から、とても朝起きが弱く、


社会人になっても変わらないですね。







羽田空港 その1 [羽田空港 ]

羽田空港は平成になって新しくなり、

国際便もどんどん入れて滑走路も増やして

大きくなっていますが、

以前の古い羽田空港は

国内便、国際便も羽田空港を利用していましたね。

昭和50年代に成田空港ができてから、

国際便は成田空港へ移行していきましたね。

私は19歳から21歳の時まで、

羽田空港で働いていました。

新しくなる前の古い羽田空港です。

仕事の内容は、

飛行機が羽田空港に到着するたびに、

飛行機の中で乗客に出される

機内食の食器を洗浄する仕事です。

トレーとか、キャサロールとか

コヒーカップとかスプーン、フォーク皿とかを

大型のベルトコンベアの洗浄器に

それらの食器を入れる作業でした。

業務用の大型洗浄器で幅が2メートル、

長さが約20メートルくらいありました。

機械に食器を入れていくと、

自動できれいに洗浄して乾燥までしてくれたので

ほとんどが機械まかせでした。

しかし、次から次と、

飛行機が到着するので、結構忙しかったですね。

飛行機1機から大量の食器がでますので、

24時間3交代で大勢の人が働いていました。

その当時は、ジャンボ機が全盛でしたから、

出てくる食器も

何百人分と大量に出てきました。

1年中24時間フル稼働してないと

さばききれないほどの量です。

国内便は北は北海道から南は九州、沖縄まで

国際便はアメリカン航空、アリタリア航空、

ルフトハンザ航空、ロシアン航空、

と世界中からやってきましたので、

24時間体制で毎日対応していかないと

追いついていかないですね。



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